天気晴れ 朝からとても暑い
宮崎県で大きな地震がありました。
そしてまるで申し合わせたようにその2日後に神奈川県西部で大きな地震がありました。
どちらの地域もこれから30年以内に大地震が発生する可能性は70パーセント以上ですのでいよいよ最後のカウントダウンが始まったようです。
常在戦場の心構えであらためて自分ができる防災対策をしようと思います。
今週の7日水曜日から昨日の9日金曜日まで二泊三日で妻と娘と3人で温泉旅行に行きました。
画像をたくさん撮りましたので1日ずつ3回に分けて報告します。
よろしければお付き合いください。
初日7日
自宅を6時30分に出発して練馬インターから関越道に乗りました。
まだ帰省の渋滞はなく、途中のサービスエリアで休憩を兼ねた時間調整をしながら予定通りに塩沢石打インターを降りて近くのレストランに行きました。
人気の越後のどぐろご飯
地元新鮮野菜のサラダ
その他にもスペアリブ、ローストビーフ、グラタン、ボルシチを注文して3人でシェアしながらいただきました。
田園地帯の中に住宅が点在するような場所に隠れ家的にあるレストランでしたが、料理はどれも本格的で美味しかったです。
もう50年以上前になりますが、小学生を対象にしたスキー教室に参加しました。
その時に利用したスキー場が石打にありました。
当時は小田急石打スキー場と言われていましたが、その後名前がファースト石打スキー場に変わりましたが、2006年に営業は休止になってしまったようです。
その思い出の地を50年ぶりに訪れてみました。
かつてのゲレンデは一面の草野原でした。
もちろんリフトやナイター照明などの設備は痕跡すらありませんでした。
奇跡的に当時私が宿泊した民宿がそのまま残っていました。
この民宿のご主人がスキー教室の校長先生もしていました。
思い切って声をかけてみました。
突然の訪問にも関わらず、校長先生の息子さんが快く応対してくれました。
建物の中もスキーを立てる鍵付き保管場所も奥の乾燥室もあの頃そのままでした。
あまりの懐かしさに涙が出そうになりました。
校長先生や民宿を切り盛りしていた校長先生の奥様も高齢のため老人施設に入所されていましたが、今でもお元気なことが分かり安心しました。
スキー場の閉鎖に伴い民宿もやめてしまったそうですが、これからも自宅として住み続けて行くそうです。
息子さんと話しているうちに息子さんは私より5歳年下ということが分かりました。
そう言われて当時民宿の廊下をちょこちょこと走り回る小さい息子さんの姿をはっきりと思い出しました。
お互いすっかり年を取ったけれど元気に再会できたことを喜びました。
時には夢に見る位ずっともう一度訪れてみたいと思っていた所に行くことができて大満足です。
初日の宿は冬は豪雪地帯で知られる津南町の松之山温泉でした。
歴史を感じさせる立派な木造建物でした。
今はまず見かけることのない木目調の床置き冷房専用機も現役でした。
窓の外は棚田が広がる日本の原風景でした。
松之山温泉は有馬温泉、草津温泉と並んで日本三大薬湯の一つです。
源泉は78度もあり、昔は温泉から塩を作ったと言われるほどの物凄く塩辛い温泉でした。
もちろん大浴場もありますが、家族風呂はその源泉がかけ流しで最高の泉質でした。
ただ最初に入る時は昔のお笑い番組のような熱湯風呂になっていますので、水を入れてよくかき混ぜて入る必要がありました。
草津温泉の湯もみのようにしっかりかき混ぜてから入りました。
これまでいろんな温泉に入ってきましたが、上がった後に肌がつるつるすべすべになる感じはここが一番でした。
野菜たっぷりの美味しい夕ご飯でした。
米どころ新潟のコシヒカリのご飯は一味も二味も違う美味しさでした。
Part2に続く
今日は朝から熱線のような日差しが降り注いでいました。
意を決して自転車でプールに行きました。
お盆休みのためかプールはいつもの常連さんに加えて普段は見かけない人もかなりいて比較的混んだ状態でした。
私が泳いでいる往復コースにはかなりのハイペースで泳ぎ続ける男性が一人いたので練習の邪魔にならないように何度も多めのレストをして調整する必要がありました。
前のめりの姿勢の保持とエントリの時に指先からスムースに入れることを意識しながらゆっくり大きく泳ぎました。
1往復ごとにレスト5~25秒、緩クロールで60往復3000mを1時間39分で泳ぎました。